1885年に初めて開催された「アルコール症に関する国際会議(The International Congres on Alcoholism)」(1995年のサンディエゴ大会が最新)においても、これまでに述べた方策が論じられてきたが、当時、ほとんどの国で、アルコール誤用対策の実際の原動力となっていたのは禁酒運動と一部の医師であった。
アルコール間題が国際的関心事であり、国際間の協力と、経験の共有が有効であるという認識が基本となって、1907年には国際アルコール対策局(International Bureau against Alcoholism(現在のICAA))が設立された、この機関の活動に対し、ノルウェーは、最初に支持を表明した。この機関は発足当初から、その目的がアルコールにまつわる問題に関わる全ての局面に関する情報の収集、伝搬であること、及び全面禁酒の原則を受け入れない者も排除しないという方針を明示していた。
フランスは、ほとんど唯一と言える例外だった。1872年に設立された「アルコール症を防ぐためのフランス国家委員会(French National Committee on Defense against Alcoholism)」は、その案内、宣伝用資料では「禁酒」を強く押し出してはいたが、勤務中や運転中など幾つかの特定の場合における絶対禁酒を除いては、「節酒」程度、またはほどほどのつきあい程度の飲酒を認める立場をとっていた。
米国で「禁酒法」が撤廃された1930年代には、アルコール症を病気と考える概念が見直され、勢いを得た。「合衆国アルコール症評議会(The USNational Council on Alcoholism)」はこの概念を基本とした機関であり、絶対禁酒の概念に基づくものではない(アルレコール中患者の場合を除く)。この概念に基づくアプローチは「ウェット・ドライ論争」で蚊帳の外に置かれていた多くの人々の注目を集め、同じく1930年代に発足した「アルコホリック・アノニマス(Alcoholics Anonymous)」の主旨にも合致するものであった。